「らい予防法」が廃止されてから、今年でちょうど30年を迎える。宮古島でいま、その歴史を振り返るパネル展が開かれている。観光地としての印象が強いこの島に、国が長年にわたって隔離政策を続けたという、もうひとつの深い歴史が刻まれていることを、どれだけの人が知っているだろうか。
「らい予防法」とは何だったのか――隔離政策が生んだ差別の構造
ハンセン病は、らい菌によって引き起こされる感染症だが、その感染力は極めて弱く、現代では有効な治療薬も確立されている。しかし日本では長らく「不治の病」として恐れられ、1907年に始まる国の政策のもと、患者たちは強制的に療養所へ隔離された。その法的根拠となっていたのが「らい予防法」だ。
この法律は患者の外出制限や強制労働、さらには断種・堕胎まで事実上容認するものだった。療養所の外の社会では偏見と差別が根強く残り、回復した後も故郷に戻れなかった人々が多く存在した。1996年にようやく廃止されたものの、患者・元患者たちが国に対して起こした訴訟での勝訴と国の謝罪は、廃止からさらに数年後のことだった。

宮古島と隔離政策の切っても切れない関係
宮古島を含む沖縄は、ハンセン病政策において特に重要な舞台のひとつだった。沖縄には国立療養所が置かれ、宮古島からも多くの人々がそこへ送られた歴史がある。島の人々にとって、ハンセン病は遠い本土の話ではなく、家族や隣人が引き裂かれた、きわめて身近な出来事だった。
戦後の混乱期も含め、この地域では差別意識が社会に深く浸透し、療養所を出た後も地域に帰れない元患者が多かったとされる。宮古島でパネル展が開催される意義は、単なる歴史の振り返りにとどまらない。島の歴史の一部として、今を生きる人々がこの事実を受け止め直すことを、主催者側が求めているということでもある。
廃止から30年という節目は、直接体験した世代が高齢化し、記憶の継承が難しくなってきているタイミングでもある。パネル展のような場は、文字や写真を通じて当事者の声や歴史的経緯を伝える貴重な機会だ。観光で訪れた人にも、島に暮らす人にも、この展示はひとつの問いかけをしている――私たちはこの歴史から何を学んだのか、と。
今できること――パネル展に足を運び、記憶を未来へつなぐ
会期中に宮古島にいる方は、ぜひパネル展に立ち寄ってほしい。難しい法律用語や歴史的背景も、パネル形式であれば視覚的に理解しやすく、子どもから大人まで幅広い世代が学べる機会となっている。
また、家族や友人と一緒に訪れ、展示を見ながら感じたことを話し合うことが、差別や偏見をなくすための第一歩になる。30年前に法律が廃止されたことは、問題の「解決」ではなく「出発点」だった。宮古島という場所でこの歴史に向き合うことは、島への理解をより深く、より誠実なものにしてくれるはずだ。